灯明堂海岸


横須賀市西浦賀町川間から久里浜に続く海岸線で浦賀港の入口に燈明崎と呼ばれる小さな岬があり,浦賀町に残された昔の面影を残す唯一の浜辺である、燈明堂周辺は交通が不便なことと,通称”首切り場”という不気味な地名の故か,宅地開発の波からも免れ,お陰で周辺には豊かな自然が残された。燈明堂と千代ヶ崎の間には,東京湾でも数少なくなった,自然の姿のままの海岸が今でも残っている。燈明堂のある付近を地元の人々は通称「首切り場」と呼んでいる。これは江戸時代この辺りに浦賀奉行所の処刑場があり,罪人の首をはねたところからつけられた呼び名である。浦賀奉行所で死刑を申し渡せるのは,海事関係者のみだったことから,その大部分は船乗りだったと思われる。

灯明堂とは江戸時代には今日の灯台のような役割をする施設であった。慶安元年(1648)幕府の命によって築造された燈明堂は観音埼灯台にバトンタッチするまで,約220年間にわたって一日も休まず夜間の海上安全の守り役として活躍したが,明治五年(1872)に廃止された。燈明堂は、我が国の灯台史の上で極めて貴重なもので,建物は明治20年代まで残っていたが風雨で崩壊,土台の石垣だけが残されていた。平成元年その石垣の上に,現在の燈明堂が復元された。横須賀市指定史跡となっている。

横須賀市教育委員会・案内板から抜粋 。

又地元の人々のこの地の別の呼び方は「砲台」ともよばれ、戦時中には軍事基地の拠点として大砲を発する砲台があり、現在でもその痕跡がこの浜辺の周辺の山にはその痕跡が多く残されている。
現在この海岸の周辺は宅地造成が進み高層マンションが立ち並ぶ一大住宅地と化している。







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