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中島三郎助祭

第2回中島三郎助祭は2006年1月28日に晴天に恵まれ
浦賀ドック工場内にて開催されました。
デジカメ持参で撮影して来ました、写真をゆっくりとご覧ください。

日本人として始めて黒船に乗り込んだ浦賀奉行所与力「中島三郎助」の生誕185年を記念し、その功績を讃える祭です。

あらし吹く夕べの花ぞ目出たけれ散らで過ぐべき世にしあらねば

これは中島三郎助が函館の五稜郭近く、千代ヶ岡陣屋から遺書と共に家族にあてた辞世の歌です。

会場入り口・会場内模擬店

音楽コンサート

甲冑隊のパレード

三郎助の生涯は日本近代化の嵐が吹き荒れる激動の時代に、その真っ只中を幕府の役人(与力)として、
又一人の武士として忠実に行きぬいた49年間でした。

浦賀奉行所復元模型・
浦賀文化センター蔵


三郎助の観音像
慶応4年(1868年)に新政府が設立されると、榎元武揚らと江戸から脱出し、函館五稜郭に旧幕府勢力を
中心と<した政府の樹立を目指しましたが翌年の5月に二人の息子恒太郎・英二郎と共に砲弾に倒れ49年の
生涯を閉じます、その後明治24年(1891年)に、中島三郎助を追慕する人々の手によっって
浦賀港を見渡せる愛宕山公園に招魂碑が建てられました。

愛宕山公園・三郎助招魂碑

三郎助父子の終焉の様子を描いた絵

三郎助父子終焉の地・函館市中島町

三郎助父子終焉の碑・函館市中島町、中島町の名前の由来は中島三郎助にちなんでつけられた名前だそうです。

函館碧血碑

函館市中島町での
「中島三郎助祭」の写真

横須賀市東浦賀町東林寺に
静かに佇む「中島三郎助」の墓




中島三郎助の版画
(版画の原版の実寸は、4.9cm×4.9cm、消しゴム製です。)
作者: 浜野基彦さん。

コメント: 

幕末の歴史を紐解くと、その節目節目に必ず登場し、慎ましくも力強く活躍する中島義士。
けっして「竜馬」や「新撰組」のように派手な個性はないけれど、だからこそ人を惹きつけて放さない、言いようのない魅力があります。
残された肖像写真がまたたまらなくいい。
その泰然とした面構えには今の日本人にない男の色気があります。
昨年の夏初めて浦賀の町へ伺いました。
会館の中島義士のコーナーも拝見しました。
遺品の数々を見るうちに、なぜかとめどなく涙があふれてきて、仕方がありませんでした。

( 2007年4月13日、当「浦賀の町の掲示板」にご投稿いただき浜野様のご了解を得てこのページに掲載いたしました。 「浦賀の町の掲示板」管理人より。)

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